べっぴんさん
ミーたん婆 山谷美恵子さん
魚の棚商店街で長年働いている山谷さん。今では親子3代に渡って魚の棚で働いているそうで、まさに「歴史」を感じます。そんな山谷さんに自分のお店を持つまでの苦労や、商店街が最も活気があった時の思い出、魚の棚で働くことの魅力を聞いてきました!!
「ミーたん婆」
●かわいい店名ですが、何か由来はあるんでしょうか?
私は淡路出身やねんけど、向こうは名前の最初の文字をとって伸ばすのよ。姪が私を呼ぶ時に「ミーたんばーちゃん」と言うのね。ほんなら珍しいし、それが良いんじゃないかって娘が言うてこの名前になったんです。
●お店が屋台みたいな形なのですが、どうしてこの形でやろうと思ったんですか?
百貨店がああいう形でしょ、それを真似てね。本当は魚の棚なら直に下に置いてやるけど、惣菜はそういうわけにもいかないからね。衛生面もあって、お腹より上で胸より下の高さになってるね。

●どうして珍味店をやろうと思ったんですか?
私が以前勤めていた店の人に「お店をするなら煮物とか天ぷらはどうですか」ってすすめてもらってね。実際に作ってみると、タコは1時間くらい炊いてるから暑い時でも大丈夫で持って帰るのも心配ないから、これならいけるなと思いましたね。他に店で扱っているのは、昔から家で炊いていたイカナゴ。それから子持ちイカ、ニシガイとツブガイとかかな。あんまり種類はないかもしれないけど、数を増やしても手が回らなくなるし目移りして買ってもらえないこともあるからね。
●商品の中で「ここを工夫している」という部分はありますか?
子持ちイカかな。前はご飯を詰めてイカ飯にしてたんやけど、中まで出汁が通らないんよ。普通のイカ飯はご飯をあまり炊いてないから美味しくないし、結局タレが無くなったら味がないんよね。北海道のイカ飯ならしっかりご飯も炊いてるから、それには勝てない。そこで考えたのが、ご飯の代わりにシシャモを入れたらプリプリしてて食感も良いし、美味しいんじゃないかってね。
●お店の仕入れはどのようにしているんでしょうか?
仕入れは、ずっとお世話になってる水産卸会社に任してるんですよ。市場で競ったやつを毎日入れてもらってます。そことはもともと、魚の棚の魚屋さんで働いてた時の繋がりでね。人との繋がりはやっぱり大切にしないとね。15年の付き合いなので一番信用出来るし、色々と飛び回ってくれて良い品を持ってきてくれるからね。それだけは安心してやってます。
●今のお店はいつから営業されているんですか?
創業は平成18年の2月15日、今年で6年目ですね。それまでは魚の棚がまだ「魚町」で今の立派なアーケードがなかった時から、色んなところで卸業をやってました。
●そんなに昔から魚の棚で働いているんですか。今のお店を出すまでの経緯を教えてください。
昭和39年から41年まで魚屋さんで働いて、それから10年間鉄工所にいました。でも不景気で、ちょうどそのとき卸業をやってる人が「魚が好きやったら働かへんか」と言ってくれてね。51年からまた明石の東魚町で6年間魚の卸しをやって、そのあと魚の棚の魚屋にも15年いました。今のお店で煮物をするまでに、4軒ほどそういったお店で働いてたんです。それぞれの場所に良さがあって、色々吸収して全部の良いとこ取りですよね(笑)。そこから、歳も歳やから自分でゆっくりしようと思って今のお店を出したんです。
「大変だった売り子の仕事」
●山谷さんが魚屋さんで売り子をやっていた時、商店街はどういった様子でしたか?
多分今までで一番活気があった時期やと思うよ。地元の人だけでなく、遠いとこからもお客さんが来てくれたしね。魚の種類も今よりずっと多くて、隙間がないくらい並んでたよ。
●一番活気があった時期の魚屋さんって、やっぱり色々大変だったんじゃないでしょうか?
そら苦労したわなぁ。タコの墨取るのは手がものすごい荒れるし、爪まで真っ黒になるしね。子どもの学校行った時でも、手をよう出さなかったくらい。
忙しさはその月ごと、魚の旬によって違うね。お正月や成人式では焼鯛するからタイがよく出て、2月から5月まではイカナゴがあって、6月から8月は麦わらダコが一番美味しい時やね。そのあとはお中元でブリが出るからまた忙しくなるんですよ。あと冬が一番大変よ、氷を触るから手が冷たくて。夏は暑いからいいんだけど。魚の管理も難しくてね。冬は水をかけると凍ってしまうし、夏は水と熱とで身がやらかくなってしまうからね。
●当時、ここは他の店よりすごかったということはありますか?
どれだけ売り上げあったかわからへんけど。仕入れた商品は大体全部売っていたね。それだけのもんですよ。

●それが一番重要なことじゃないですか(笑)。
売り子さんと言っても、ただ商品を売るだけじゃないんですよね?
そうですね。うちは社長が仕入れをして番頭が値段を決めて、それを私らが売りよったんです。お客さんと交渉しててギリギリの時は「もうちょっと落としてもいいよ」と番頭さんからサインがあったりするねん。他にも、お店や自分の馴染みのお客さんやったらちょっと値段下げたりね。
当時は夕方の4時くらいになったらお客さんが来てたのよ。だからその時間になったらこっちはちょっと値段下げたりね。給料日や年金の日なんかも頭に入れて値段考えてたね。あと私が売り子をやって最初に教えてもらったのは、お客さんの目を見なさいってこと。大体目を見てたらわかるんよね。欲しい商品がある人はそこをじっと見てるし、あまり買う気のない人は目があっちこっち行くからね。
「親子3代で繋ぐ魚屋のバトン」
●娘さんも魚の棚で働いているってお聞きしたんですけど……。
娘と孫も働いてますよ。うちは子どもが多くて、女の子が5人と男の子が1人いるのよ。皆小さい時から家の手伝いで魚を触っているから、魚屋の仕事が苦にならへんのよね。私が一度魚屋辞めて煮物とかのお店に行った時に、魚の棚の魚屋「海路」さんから「もし魚屋に戻ってくるなら来てくれへんか」と言ってもらっててね。その時に娘さんもどうかと言ってくれて、その縁で長女の文代が働いてます。文代の娘の望美は23歳なんやけど、今なかなか就職も難しいじゃない。だったら親元で働いてくれた方が良いなと思って、同じ「海路」さんで働いてるんです。三女の京子は別のとこで働いてたんだけど、子どもが出来てから時間がなくて困っていてね。それならこっち来ないかと文代が呼んであげて、ここで働いてます。私もそうだけど娘達もお客さんと喋るのが好きよね、商売しとんか話しとんのかわからへんくらい(笑)。
●これまでお話を聞いて、仕事で出会った人との繋がりをとても大切にしているなぁと感じたのですが、今お店をしていて大切にしていることはなんですか?
魚の鮮度が良いことと、いつも同じ味で変わりのないようにということかな。すると「美味しかったからまた買いに来たよ」て言うてくれる人が出来てね。頑張らないといかんなあって思うのよ。本当にそういう常連さんとか、人との繋がりが一番大事ですね。
●今まで魚の棚商店街で働いていて、こういうところが良かった。また、今後こうしたら良いんじゃないかなということはありますか?
阪神淡路大震災の前に、長い巻き寿司を作ってギネスに挑戦しようってイベントがあって、その時は皆ですごく盛り上がったね。他にもフリーマーケットとかお祭とかね。そういったイベントでお客さん集めたら良いんじゃないかな。今だと正月になったらのぼりを上げたり、大漁旗を借りてきて吊るすんですよ。皆でもっと協力してやったら賑やかで良いなと思うよ。あとはやっぱり忙しい中でもお客さんと話して、それで馴染みになってずっと覚えてくれてる人がいる。そういう繋がりが一番大事やね。そういう繋がりがあるから、ここでゆっくり焦らんとやるのが一番って思うのよ。 |